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zoom RSS 日本の肩書社会へのこだわり

<<   作成日時 : 2017/05/09 08:23   >>

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この記事のこの部分を読んでいると、日本は肩書社会にこだわる人がとても多いのだろうなと思う。

弁護士「資格」必須度というテーマ(平成29年4月26日付河野真樹の弁護士観察日記)
「今はビジネスの楽しさにどっぷりとはまり『弁護士の仕事には絶対に戻らないと断言できる』ほど」

 やはり、弁護士の資格を持ちながら、弁護士の仕事ではないという意識と、それに絶対に戻らずにビジネスを楽しむことに価値を見出せる人材こそ、この記事が描いて見せた可能性なのか、といいたくなるオチというしかありません。

 ただ、こうした記事をたとえ、弁護士をこれから志望先にするかどうか検討している人が目にしたとしても、もはや安易にこれを受けとめてしまったり、その気になる人は少ないはずです。それならば、リスクを冒して弁護士にならずとも、法律を勉強しながら、はじめから企業や公務員を目指してもいいのでは、と考えてもおかしくありませんし、起業にしても、弁護士という「資格」をどうしても経由しなければたどりつけないと読みとるようには、とても思えないからです。

 分かっていないのは、むしろこうした可能性のアピールで、まだ「資格」としての弁護士を目指す人間たちが返ってくると考える人たちの方ではないでしょうか。これが実は役割集中型を目指した「改革」の失敗の結果として、「なんとかしなければならない」状況から逆算されたものであり、それがまだ、この世界に踏み込まないで済んでいる人たちの目にどう映るのかも、きっと彼らは十分に分かっていないのです。


弁護士という資格を、もっと言えば肩書をもらえれば人生の勝利者といっても過言ではない付与された人生を得られるという錯覚がこの作用をもたらす。それはいまだに根付いた日本でいう肩書社会が蔓延している証拠である。この資格に限らず学歴も同じで、会社が、ひいては社会がそれを基に人を判断するくせがついているから自ずと「それのみ」になってしまう。

日本は早くその幻想から脱出した方が良いのかもしれない。判断するなということではなくそれは判断の一資料でしかないという側面を持つだけということに気づくことが肝要なのだろう。それは人を見た目「だけ」で判断するのと同じ。離婚が多いのもそれが原因の一つとも考えてしまうが、どうだろうか。

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