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zoom RSS 改めて思うと、裁判員制度は必要だったのだろうか?

<<   作成日時 : 2017/03/15 05:10   >>

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国民感覚との距離埋めよ 裁判員判決の破棄(平成29年3月15日付産経新聞の主張)
裁判員裁判で下された死刑判決が上級審で無期懲役に減刑されるケースが続いている。裁判員制度の導入に際しては、職業裁判官だけによる判断は、国民の良識や常識に照らして乖離していないか、との反省が込められていたはずである。国民視点の反映という観点が軽視されてはいないか。

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被害者が1人の事件でも、多くの裁判員は先例を承知しながら、殺害の動機や犯行態様を考慮し、自身の全人格をかけて死刑判決を選択してきた。その事実を司法関係者は重く受け止めてほしい。特に性犯罪事件では、裁判員の判断がより厳しくなる傾向が指摘されている。

そうした「国民の感覚」と「先例」の距離を埋める努力こそ求められているのではないか。


これを読むにつれ、裁判員裁判が行われた当初から思っていましたが、この制度は本当に必要なのだろうか?と。上級審で覆ってはいけないわけではないから上級審があると思います。今回の主張では2件取り上げ、1件は計画性の低さが減刑の理由としてあげられ、もう1件は被害者が1人だったから害事件でも永山基準に基づき減刑となったことを取り上げていました。そして、それが本当に国民感情に沿っているのかと。

この制度は国民感情で法を突き崩すために設けられた制度だったのでしょうか?確かに今回の2件に関しては考えないといけない部分が大いにありますが、法より国民感情が優位するだなんて何だか韓国みたいな国になったりしないでしょうか?

それ以上に上級審で覆されるかもしれないのに、重い裁判に深く一般国民が関わり合い、守秘義務も持たされて精神疾患を起こす人が出ないかそれが心配です。出なかったとしても精神的に辛いはずです。一般国民には通常の日々が待っているのですから。

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